人文論集: 静岡大学人文学部人文学科研究報告, Issue 44, Part 1静岡大学人文学部, 1993 |
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... おります。人間は長い期間の間、いろいろ見たくないものでも見ねばならず、会いたくないことにも会わねばなりません。人間の一生を仮に七十年といたしましょう。...............さてこの七十年間の合計二万六千二百五十日のうち、一日として全く同じ事が ...
... おります。人間は長い期間の間、いろいろ見たくないものでも見ねばならず、会いたくないことにも会わねばなりません。人間の一生を仮に七十年といたしましょう。...............さてこの七十年間の合計二万六千二百五十日のうち、一日として全く同じ事が ...
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... おり、何よりも根源と尺度を異にしている。つまり「すべての宗教は人格としての人間のある独自な本質的類型(ホモ・レリギオースス)のうちにその起源と自律的な尺度とをもっている」といえよう。さらに「派生的なホモ・レリギオーススたちの連鎖」の意義 ...
... おり、何よりも根源と尺度を異にしている。つまり「すべての宗教は人格としての人間のある独自な本質的類型(ホモ・レリギオースス)のうちにその起源と自律的な尺度とをもっている」といえよう。さらに「派生的なホモ・レリギオーススたちの連鎖」の意義 ...
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... おり、形而上学が絶対的実在を志向し、その本質を問うているのに対し、宗教は神の愛による救済の道を求め、人間的な最高善を志向している。したがて「救済の問題は形而上学者にとっては二次的なことにとどまり、絶対的実在の認識は宗教家にとっては二次的 ...
... おり、形而上学が絶対的実在を志向し、その本質を問うているのに対し、宗教は神の愛による救済の道を求め、人間的な最高善を志向している。したがて「救済の問題は形而上学者にとっては二次的なことにとどまり、絶対的実在の認識は宗教家にとっては二次的 ...